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高知地方裁判所 平成3年(ワ)288号 判決

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

理由

【事実及び理由】

【原告の請求】

1  原告が、別紙第一物件目録(1)の土地につき、所有権を有することを確認する。

2  被告は、原告に対し、右土地を明け渡せ。

【事案の概要と争点】

(以下、〔 〕内は当該事実の認定に供した証拠の表示である。)

一  前提事実(争いのない事実及び証拠上容易に認められる事実)

1  原告は、昭和五八年一月から、別紙第一物件目録(2)(3)の各土地(以下、同目録(2)の土地を「(2)土地」と、同目録(3)の土地を「(3)土地」と、右各土地を総じて「原告土地」という。)を所有している。

2  被告は、別紙第一物件目録(1)の土地(以下「本件市道敷」という。)を市道井尻ナベウド線の一部として占有している〔争いがない〕。

3  別紙第三のとおり、昭和五八年三月三一日付け「官民有地境界協定申請書」(原告の代理人甲野松夫〔以下「松夫」という。〕が高知県知事に宛て、(2)土地と公有水面〔海面〕・荷揚場との境界確定協議を申請する旨の内容)、及び、同申請書に添付された同日付け「同意書」(別紙第一物件目録(4)の土地・海面所有者伊野土木事務所長と(2)土地所有者松夫とが、共に、右各土地と公有水面等との境界を同別紙図面〔同図面A点とB点とを直線で結んだ線〕のとおり定めることに異存ない旨の内容)が存在している(以下、右各書面を「本件境界合意書等」と、同書面に記載の合意を「本件境界合意」と、右合意に基づく境界線〔同図面中のAB線〕を「合意境界線」という。)〔争いがない〕。

二  原告請求の要旨

以上の事実関係の下で、原告は、(1) 本件市道敷はもともと原告土地の一部であった(主位的主張)、(2) 仮にそうでなかったとしても、原告は、本件境界合意により、高知県から本件市道敷の所有権を取得した(予備的主張)と主張して、被告に対し、原告が本件市道敷を所有していることの確認とともに本件市道敷の明渡しを求めた。

三  争点

1  本件市道敷は、本件境界合意前から、原告土地の一部であったか?

〔原告の主張〕

本件市道敷は、もともと原告土地の一部であった。高知県知事が本件境界合意書等中で原告主張に沿う合意境界線を認めているのは、何よりの証左である。

〔被告の主張〕

本件市道敷は、もともと砂礫、岩礁その他これらに類する自然状態において一般公衆の自由使用に公開され、自然の形体自体からみて海浜の形体をなし、実際にも地元住民により海浜として共同利用されていたものであり、当然に自然公物たる公共用国有財産であった。その後、本件市道敷は、昭和四八年~五二年ころ地元関係者らの協議により埋め立てられて遊歩道が設置され、更に被告の市道として認定され、道路供用の開始がされた(国から被告に対し、無償貸付又は黙示の譲与がされたものと考えられる。)。

したがって、本件市道敷は原告土地の一部ではなく、国有地又は土佐市の市有地である。

2 原告は、本件境界合意により本件市道敷の所有権を取得したか?

〔原告の主張〕

一般に、境界協定は、これによって確定された境界が公法上の境界と異なる場合には、その異なった部分の所有権を相手方に譲渡する合意を含んでいる。したがって、仮に本件市道敷がもともと原告土地の一部でなかったとしても、本件境界合意により、原告は高知県から本件市道敷の所有権を譲渡された。

〔被告の主張〕

(一)  境界確定協議の不存在又は手続的無効

(1) 国有財産法三一条の三は、国有地と民有地との境界確定は各省各庁の長と隣接地の所有者との協議により行われるべき旨規定されているところ、本件のような漁港区域の海浜地は農林水産大臣の所管にかかり、農林水産大臣から県知事に機関委任事務として管理が委ねられているものであるから、境界確定協議は高知県知事との間で行われなければならない(以下、国有財産法三一条の三所定の官民有地間の境界確定の手続を、単に「境界確定協議」と表示することとする。)。

しかし、本件境界合意書等には、海面の土地所有者として伊野土木事務所長が境界確定に同意する旨の記載のみ存し、県知事の意思表示は何ら記載されておらず、高知県土木事務所処理規定三条一七号によれば、国所有の公共物の境界についての協議は土木事務所長の権限に属さないのであるから、結局、本件境界合意書等によっても、有効な境界確定協議は成立したとはいえない。

(2) 高知県が境界確定協議の処理の適正化のため定めた内規である「官民有地境界協定事務取扱要領」によれば、本件境界合意書等は、境界確定協議としては未だ不完全なものに過ぎない。

(3) 加えて、本件境界合意書等中に立会人として記載されている高橋章と松本義紀は、当時伊野土木事務所の職員ではあっても技術者であって、官民境界確定に関し何ら権限を有しておらず、また、本件境界合意は、被告や地権者の立会いもなく行われたものであるから、これらの点からしても、本件境界合意は無効である。

(二)  内容的無効・錯誤無効

満潮時に水没する土地や公有水面上については私権は存在しない。但し、私有の陸地が自然現象により海没した場合には、条件いかんで私権が存続することもありうるが、合意境界線付近の土地は海没したものではないから、結局、本件境界合意は私権の設定できない部分に境界線を設定したことになり、不能を目的とする意思表示であるから当然に無効であるし、また少なくとも、法律行為の重要な要素について錯誤があるから無効である。

〔被告の主張に対する原告の反論〕

(一)  被告の主張(一)について

確かに境界確定協議は伊野土木事務所長の権限に属さないが、本件境界合意は、国有財産管理者側が能動的に行う右境界確定協議とは異なり、伊野土木事務所長が専決しうる受動的な境界確認の類型であるから、本件境界合意は権限ある者によって行われたものであって有効である。

(二)  被告の主張(二)について

合意境界線付近の土地が南海大地震によって海没した事実は本件境界合意書等に記載されているとおりであって高知県も認めているところである。また、この部分は干潮時に地盤が露出するか、少なくとも浅瀬であって、人による支配利用が可能であり、かつ、他の海面と区別しての認識も可能であるから、全部又はほとんどが所有権の客体になり得るものである。

また、仮に合意境界線付近が海であって所有権の客体たり得ないとしても、本件市道敷が海でないことは明らかであって、本件境界合意は海の部分について無効であるに止まり、本件市道敷について原告の所有権を認めた部分は完全に有効である。

【争点に対する判断】

一  争点1(本件市道敷は、本件境界合意前から、原告土地の一部であったか)について

1  本件市道敷の変遷過程

《証拠略》、ことに証人上野・有藤の両名は、いずれも長年にわたり本件係争地のごく近隣に居住し、本件市道敷の変遷をつぶさに目撃してきた者であって、その証言内容・態度に照らしても、その信用性は極めて高度であることから、上野・有藤証言に重点を置いて前掲各証拠を総合検討すると、本件市道敷の変遷過程について以下の各事実を認めることができる。

(一) 本件市道敷は、戦前・戦後を通じ昭和三〇年代ころまでは、砂礫や岩礁等が混在するいわゆる磯であった。この磯は干潮時には姿を見せるものの、潮の状態いかんでは(具体的には、大潮の折りなど)満潮時には完全に海面下に没する状態であった(山際まで潮が来ていた。)ため、前記上野、有藤ら宇津賀地区(本件係争地のすぐ南側に所在している。)に居住する人達は、北東の井尻地区に赴く場合には、干潮時を選んで本件市道敷の磯の上を歩いて小宇津賀鼻を回るか、やむを得ず満潮時に赴く場合には、本件市道敷は潮が満ちて海面下に没していたため、船で海上を渡るか、本件市道敷沿いにうさぎ道程度の山裾を山の木を掴みながら歩くか、それとも山向こうの小向地区まで急峻な山道を歩いて山(現在原告が所有している(2)土地)を越えるかしか方法がなかった。

(二) 本件市道敷付近は戦前から右のような状態であったことから、戦時中は、海軍の魚雷艇が満潮の折りに本件市道敷の東側山腹まで航行して来、同艇が自ら掘り出した土を運搬するなどして、その山肌に魚雷を格納するための防空濠を構築したりした(当裁判所が平成四年一二月一六日実施した現地検証の際にも、別紙第二鑑定図〔以下「鑑定図」という。〕中の「濠」及び「崩壊した濠」と記載された部分に、防空濠の跡と認められるものが未だ残っていた。)が、この防空濠に格納された魚雷は終戦後進駐軍によって鑑定図66点、67点付近で爆破されたため、本件市道敷の東側の山腹が一部崩壊して平地になったりもした(鑑定図66点、67点東側の平地部分)。

(三) しかし、やがて昭和三〇年代に入ると、地元の人達もこのような生活上の不便に耐えかね、本件市道敷付近に石を置くなどして磯を通行し易くするようになり(但し、潮の状態いかんでは海面下に没する状態ではあった。)、昭和三五年ころからは被告が失業対策事業として本件市道敷付近に簡易な道(幅一メートル位、自転車が通れる程度の道で、満潮時にも海面下に没することのないもの)を造った上、更に昭和四九年から昭和五二年にかけては、被告の都市計画課が本件市道敷付近を幅約一・八メートル位の遊歩道として一層整備し(植石工法というコンクリート舗装に石を埋め込む方法により、既設の石積をコンクリートで嵩上げし、山際は均すようにして道を作った。)、その後更に被告は右遊歩道をアスファルト舗装して道幅二メートル程度に拡幅の上、今日の本件市道敷の形状を造成するに至った。

以上のとおり、本件市道敷は、磯が埋め立てられ海側に道を広げられることにより形成されていったものであり、道を作るために山の斜面が削られるようなことはなかった。

(四) そして、被告は、(1) 昭和五二年三月一九日に、井尻ナベウド線(起点宮崎、終点ナベウド)を市道に認定し、(2) 同年一二月二一日には、右路線を廃止すると同時に、宇津賀を起点としナベウドを終点とする宇津賀ナベウド線(延長三六〇メートル)を、東宇津賀を起点としナベウドを終点とする宇津賀ナベウド線(延長一五三〇メートル)に市道変更し、(3) 昭和五七年一一月一〇日には、右宇津賀ナベウド線を、改めて土佐市宇佐町井尻字日和山三二七番地先を起点とし同町宇佐字ナベウド二八四六番一地先を終点とする市道(延長二五〇〇メートル)として認定すると同時に、その市道区域を敷地の幅員二メートル、延長二五〇〇メートルと決定し、市道として供用を開始した。これにより、本件市道敷は、昭和五七年一一月一〇日右宇津賀ナベウド線の一部として市道認定されるとともに供用が開始されるに至った。(4) なお、その後被告は、昭和六〇年九月三〇日に従前の道路現況台帳を新たな新道路台帳に調整(改訂)したことに伴い、昭和六一年一〇月一三日、右宇津賀ナベウド線を廃止すると同時に、右市道路線と起点・終点・延長をほぼ同じくする井尻ナベウド線(起点-土佐市宇佐町井尻字日和山三二七番地先、終点-同町宇佐字ナベウド二八四七番地先、延長二四九六・九二メートル)を改めて市道認定し、翌一四日には道路区域決定をするとともに供用を開始するに至った。したがって、現在、本件市道敷は、右市道井尻ナベウド線の一部を構成しているが、実質的には昭和五七年一一月一〇日に市道認定され供用が開始されているものである。

以上の事実を認めることができる(なお、原告本人と証人丙川竹夫は右認定に反する供述をしているが、両名とも地元の者ではなく本件市道敷の変遷過程をどの程度現認していたのか多くの疑問がある上、特に原告本人の供述は、曖昧で一貫していない部分や不自然・不合理な部分が多い上、客観的証拠と符合しない点や原告側証人である丙川竹夫の証言とすら食い違う点も少なくないのであって、いずれの供述も信用することができない。また、本件境界合意書等〔甲三号証〕中には、原告土地と海との境界線は合意境界線と定めることに異存がない旨の伊野土木事務所長名義の同意書が添付されているが、右同意書は後述のとおり極めて特異な経過の中で作成されるに至ったものであって、もとより土木事務所の周到な現地調査に基づいて作成されたものとは到底言えず、したがって前記認定のような本件市道敷の歴史的変遷を踏まえたものとも認められないから、右同意書の存在は前記認定を何ら左右するものではない。)。

2  海の法的性質と本件市道敷の帰属

(一) ところで、私人の所有権の客体となる物は、人が社会生活において独占的・排他的に支配し利用できるものであることを要するところ、海(海水とその敷地〔海床〕とをもって構成される統一体であって、海水の表面が最高高潮面に達した時の水際線をもって陸地から区別されているもの)は、古来より自然の状態のままで一般公衆の共同使用に供されてきたところのいわゆる公共用物であって、本来、国の直接の公法的支配管理に服し、特定人による排他的支配の許されないものであるから、現行法が、特に、海について海水に覆われたままの状態で一定範囲を区画しこれを私人の所有に帰属させるという制度を採用していない以上、〈1〉 民法施行当時、特定の者が海の一定区画について排他的総括支配権を取得していた場合や、〈2〉 私有の陸地が自然現象により海没した場合において、当該海没地が、なお人による支配利用が可能であり、かつ、他の海面と区別しての認識が可能である場合を除いては、海はおよそ私人の所有権の客体たる土地に当たらないというべきである(最高裁昭和六一年一二月一六日第三小法廷判決・民集四〇巻七号一二三六頁参照)。

(二) このような見地から本件市道敷の帰属について検討するに、前1において認定・判断した事実によれば、本件市道敷は地元の人たちや被告によって埋め立てられ道の体裁を形成する以前は、いわゆる磯であったのであり、潮の状態いかんでは(具体的には、大潮の折りなど)満潮時には完全に海面下に没する状態であったというのであるから、前(一)の〈1〉〈2〉に記載の例外的事情が認められない限りは、海の一部として、国の直接の公法的支配管理に服し、およそ私人の所有権の客体たる土地に当たらないものであったと認めざるを得ず、したがって、原告土地の一部を構成しないものと言わざるを得ない。

(三) そこで、右例外的事情の存否について検討すると、前記〈1〉の事情については何ら主張・立証がないが、原告は、前記〈2〉の事情の存在を主張し、本件市道敷からその西側、合意境界線付近までの現在海面に覆われている土地はもと陸地であったが南海大地震により沈下し海没した旨主張している。

確かに、(a) 本件境界合意書等〔甲三号証〕中には、協定を必要とする理由として「南海地震による地盤沈下に起因し、民地が海没した為、官民境界が不明確であるため」と記載されており、また、(b) 高知県副知事廣木三郎編『南海大地震誌』(昭和二四年一二月二一日発行)中にも、昭和二一年一二月二一日午前四時に発生した南海大地震により、新宇佐町の築港岸壁天端下では〇・六三メートル沈下し、また須崎市多ノ郷でも局地的に一・二メートル位沈下した旨の記述が存しており、あたかも右原告の主張に沿うかのごとくである。

しかしながら、(c) 改めて前記『南海大地震誌』の別の項目を見ると、「高知市の測候所付近では五〇センチメートル位沈下したことになるものの、高知付近の地盤が一般的に沈下したかどうかは甚だ疑問で、単に沖積層と埋立地だけかも知れない。」「須崎市多ノ郷においても山から直ちに海になる絶壁の所で沈下したかどうかは不明である。」「南海大地震により各地で地盤の変動が起こり、沖積層や埋立地は所々で沈下したが、これらの明らかに局部的なものは除き、広範囲にわたったものを総括的に観ると、四国南部では隆起している。」旨の記述も存しているのであって、地理的に比較的近い新宇佐町の築港岸壁等で沈下しているからと言って、直ちに本件市道敷付近でも沈下が起こったとは限らず、逆に隆起している可能性も否定できないこと、(d) 南海大地震当時、現に宇津賀やその近辺に居住していた人達の供述を見ると、前記上野熊芳、有藤直喜〔なお、同女自身は昭和二七年に宇津賀に嫁に来て初めて同所に居住するようになったが、同女の夫は大地震当時宇津賀に居住していたものであり、同女は夫の言葉として地震による地盤沈下が無かったと述べている。〕、元高校教員・市会議員の植田穂、元被告職員の奥田清志はいずれも、本件市道敷付近が南海大地震により沈下して海没したことを否定していること、(e) 前(a)記載の本件境界合意書等中の記載は、後述するような本件境界合意書等作成に至る特異な成り行きから、いわば辻褄合わせとして記載されたものに過ぎないものであって、伊野土木事務所において真に調査した上で記載されたものではないことなどの事情を併せ考えると、前記(a)(b)の事実のみから前記〈2〉の例外的事情を認めることはできないばかりか、むしろ右(c)(d)の事実に鑑みると、南海大地震の際にも本件市道敷付近は陸地の海没を来すような明らかな地盤沈下は発生しなかったものと認めることができる。

3  小括

以上によれば、本件市道敷はもともと原告土地の一部を構成していなかったものと認められ、この点に関する原告の主張は理由がない。

(なお、付言するに、公有水面を埋め立てて造成された本件市道敷がいずれの所有に帰したかは一個の問題である。前記認定事実によれば、本件市道敷は被告の埋立てにより造成されたものと認められるが、本件全証拠を通覧しても、被告が右埋立てにつき公有水面埋立法に基づき高知県知事から埋立ての免許及び竣功認可を受けた形跡は認められないから、本件はいわゆる無願埋立てに当たると解さざるを得ない。公有水面を埋め立てるために投入された土砂は、その投入によって直ちに公有水面の地盤に附合して国の所有となるものではないが〔最高裁昭和五七年六月一七日第一小法廷判決・民集三六巻五号八二四頁参照〕、本件の場合は、〈1〉 《証拠略》によれば、高知県は、昭和五三年七月一四日、公有水面埋立法に基づき、本件市道敷の更に海側(西側-鑑定図中の「荷揚場」と記載された部分)を埋め立て、荷揚場を造成したことが認められるが、これは本件市道敷の存在を前提としての行為であるから、黙示的に右無願埋立ての追認(昭和四八年法律第八四号による改正前の公有水面埋立法三六条二項)がなされたものとも解し得るし、また、〈2〉 本件市道敷が昭和三〇年ころから公衆用道路として公共的な用途に用いられて来たことに鑑みると、暗黙裡に、右埋立地を国が普通財産に組み入れ、これを土佐市に対し譲与又は無償貸付したものと解し得ないでもなく〔平成七年一月二三日付け被告準備書面添付の参考資料(二)等〕、本件市道敷が被告又は国の所有に属することは明らかであると思われる。いずれにせよ、本件市道敷がもともと原告土地の一部を構成していなかったことは前述のとおりであるから、本件市道敷が原告以外のいずれの所有に帰したかは、本訴の帰趨を左右する問題ではない。)。

二  争点2(原告は、本件境界合意により本件市道敷の所有権を取得したか)について

1  具体的問題点

確かに、原告指摘のとおり、一般的に、相隣接する土地の所有者が両土地の境界線を定める合意をした場合には、特別の事情のない限り、右合意は右境界線をもって各所有土地の所有権の限界線を定めたものであり、合意による境界線と真実の境界線とが合致しないときは、両境界線にはさまれた土地の所有権を一方から他方へ譲渡する暗黙の合意をしたものと解するのが相当であろう(大阪高裁昭和三八年一一月二九日判決・下民集一四巻一二号二三五〇頁、大阪高裁昭和五七年二月九日判決・判タ四七〇号一三六頁等参照)。そして、国有財産法三一条の三所定の境界確定協議は、財産所有者としての国と隣接地所有者との間において国有地とその隣接地との所有権の範囲を定める契約であって、その法的性質は一般の境界契約と異なるものではないから(大阪高裁昭和六〇年三月二九日判決・判タ五六〇号二〇五頁等参照)、先の理は、権限ある当事者間において適法・有効な境界確定協議が成立した場合にも妥当するものと解することができる。

そうすると、本件においても、本件境界合意により右のような適法・有効な境界確定協議が成立したものと認めることができ、かつ、本件境界合意について所有権譲渡の含意を否定すべき特別の事情が存在しないのであれば、前記のとおり本件市道敷についてはもともと原告土地の一部ではなかったという事実を前提としても、境界確定協議の成立によって、その所有権が新たに原告に譲渡されたと解し得る余地も成り立つところである。

そこで、問題は、本件境界合意によって適法・有効な境界確定協議が成立したと認めることができるのか、そしてまた、所有権譲渡の含意を否定すべき特別の事情が存在しないのかということになる(なお、原告は、本件境界合意書等は境界確定協議とは別個の手続であって、「申請者(隣地所有者)と都道府県土木事務所との間で境界についての確認書を有効に交わし得る場合である」などと主張しているが、国有財産法は、国有地と民有地との境界を確定する行政的手続としては、右境界確定協議のほか、同法三一条の四及び五において境界決定の手続を定めているのみであって、原告主張のような特異な手続は何ら規定しておらず、右国有財産法の趣旨や現実の必要性からしても、境界確定協議のほか、原告主張のような特異な境界協議の手続を許容する余地は全くないから、原告の右主張は独自の見解にすぎず〔原告がその主張の根拠として引用する甲一七号証についても、前後の記述を含めて子細にこれを読めば、何ら原告主張のような説を唱えるものでないことは明白である。〕、到底採用することができない。よって、以下においては、原告は本件境界合意により境界確定協議が成立したことを主張するものと善解して、判断を行うこととする。)。

2  本件境界合意の有効性等

そこで、関係証拠に照らし、本件境界合意の有効性等について検討を加えると、以下に詳述するとおり、手続的観点からしても、また、内容的に見ても本件境界合意は無効であると解さざるを得ず、仮に右の各点をさて置いたとしても、本件境界合意書等作成に至る経緯からして、本件境界合意は所有権譲渡の含意を否定すべき特別の事情が存在すると言わざるを得ない。

(一) 手続上の問題点

(1) 境界確定協議の不成立

高知県においては、境界確定協議を行う際の事務処理の適正を期するため、昭和四五年四月に「官民有地境界協定事務取扱要領」(以下「高知県要領」という。)が定められている。これによれば、民有地所有者が高知県土木部所管の公共用地との境界確定協議を求める場合には、高知県要領の定める「官民有地境界協定申請書(様式第1号)」(甲三号証冒頭の申請書は、これに必要事項が記入されたもの)に、必要書類(この中に、申請者の主張する境界についての隣接土地所有者の同意書が含まれているところ、甲三号証中の同意書は、高知県要領の定める「同意書(様式第2号)」に必要事項が記入されたものである。)を添付の上、土木事務所等に提出してその申請を行うこととし、これを受理した土木事務所長等は、事実関係の調査を行った後、調査結果について意見を付して高知県土木部長に進達するものとされている。そして、調査の結果、境界についての協議が成立し、境界線の決定があった場合には、協定図を作成し、別紙第四のような「境界確定協議書(様式第5号)」に双方調印のうえそれぞれ一部を保有するものとされている(永久保存である。)。

ところが、本件境界合意書等〔甲三号証〕をみると、確かに高知県要領に沿って「官民有地境界協定申請書」「同意書」は作成されてはいるものの、「境界確定協議書」については作成に至っていない(この点は、伊野土木事務所の部内資料である乙九号各証を見ても明らかである-これに対し、(3)土地の西に隣接する土佐市宇佐町井ノ尻字宇津賀山三四九番四の土地については境界確定協議書が作成されており、乙九号各証を乙八号各証と対比すると、本件境界合意における手続の不完全さは明瞭である。)。もとより境界確定協議自体は要式行為ではない(したがって、境界確定の効力は協議の成立によって直ちに生ずる。)が、国有財産法三一条の三第三項、同法施行細則第一条の四は、境界確定協議が成立した場合には、各省各庁の長及び隣接地所有者は、境界確定協議書(右施行細則第一条の四所定の事項が記載され、各省各庁の長及び隣接地所有者の記名押印の存するもの)を作成しなければならないものと規定し、その具体化として、高知県要領は別紙第四のような「境界確定協議書(様式第5号)」を作成しなければならないと定めているのであるから、本件においても、真に原告と高知県知事との間で境界確定協議が成立していたのであれば、「官民有地境界協定申請書」や「同意書」のみならず、当然「境界確定協議書」についても原告と高知県(加えて伊野土木事務所-高知県要領第5-2)の下に存していてしかるべきであり、裏を返せば、いずれもがこれを保有していないのは、結局、本件境界合意においては最終の協議成立にまで至らなかったからであると言わざるを得ない。

なお、この点に関連して、原告は、伊野土木事務所長は官民有地の境界確定協議を行う権限を有していたから、甲三号証の同意書に基づく本件境界合意によって既に境界確定協議が成立しているかのごとき主張をしている。しかし、本件市道敷付近の海及び海浜地は漁港法の定める漁港区域に属しており、農林水産大臣の所管にかかるところ、境界確定協議に関しては、漁港法・同法施行令等により農林水産大臣から機関委任事務として都道府県知事が管理を委ねられているのであるから、境界確定協議につき権限を有しているのは、高知県知事であって伊野土木事務所長ではないことが明らかであり、右原告の主張は失当である。

(2) 被告への立会通知の欠如

境界確定協議を行う場合には、隣接地の所有者に対し、国有財産法三一条の三第一項、同法施行令第一九条の四の規定に従い、立会い期日等の通知をしなければならず、これを欠いた境界確定協議は無効であると解される。ところで、前述のとおり、本件市道敷については、本件境界合意当時、既に被告の所有に帰していた可能性もかなり濃厚であり、前記認定のとおり、当時被告は本件市道敷を市道として認定しその供用を開始していたのであるから、(2)土地と海との境界確定協議を行う際には、被告への立会通知は不可欠であったと言わねばならないが、被告に対しては、全く立会通知はされていないし、また、何らかの形で手続に関与する機会が与えられた形跡もない。したがって、この点からしても、本件境界合意は無効である。

(二) 内容上の問題点

(1) 合意境界線は、鑑定図中の99点と121点を直線で結んだ線に該当する〔検証・鑑定結果〕ところ、《証拠略》によれば、本件境界合意当時、そして現在においても、B点〔鑑定図121点〕に近接した部分を除く合意境界線の大部分は、満潮時のみならず干潮時においても海(公有水面)上にあり、大潮の満潮時等には、海水は、合意境界線のはるか東側、本件市道敷の直近にまで迫っていた(この点は乙一一号証の三等の写真に顕著である。なお、本件市道敷は嵩揚げされているから、台風時等を除いて、海水が本件市道敷を覆うことはなかった。)ことが認められる。

(2) ところで、前述(一2(一))のとおり、海は、極めて限られた例外的事情の存する場合を除いては、およそ私人の所有権の客体たる土地に当たらないと解されるが(前記昭和六一年最高裁判決参照)、合意境界線付近の海が、右例外的事情の存する場合に該当しないことは、既に認定・判断したとおりである。

そうすると、本件境界合意は、前二2(一)で述べたような手続上の問題点を全く度外視したとしても、およそ私人の所有権の客体たる土地とは認められない海上に官民有地の境界線を設定したものであって、法律上実現不可能な内容を目的としていると言わざるを得ず、この点からしても無効であることが明らかである。

(3) なお、この点に関し、原告は、仮に本件境界合意のうち海の部分が無効であったとしても、本件市道敷は陸地であることが明白であるから、本件境界合意のうちこの部分を原告に譲渡したとする部分はなお有効であるとして、いわゆる一部無効の理論の適用を主張している。

しかしながら、前二1において述べた境界契約に伴う所有権の相互譲渡の合意に関する一般論は、あくまでも、隣接土地所有者間において有効な境界契約が成立したことを前提とするものである。すなわち、これを境界契約当事者の意思に則して実質的に考えても、当事者としては、両土地間の境界がこれにより確定し紛争の抜本的解決が図られることを意図するからこそ、たとえ合意による境界線と真実の境界線との間に多少の差異を生じ、この間に挟まれた残余地が生じたとしても、それについては合意による境界線が現実的なものとなるよう互譲の精神で所有権を譲渡し合うことになるのであって、右のような合意による境界線の設定そのものが何らかの理由で無効である場合には、右のような残余地という観点を生ずる余地がなくなるばかりか、このような土地を譲渡し合う当事者の意思的基盤も失われるに至ると言わざるを得ないのである。したがって、本件のように、およそ私人の所有権の客体たる土地とは認められない海の上に官民有地の境界線が合意されたことから、境界線に関する合意そのものが無効を来すような場合には、合意境界線と真実の境界線とにはさまれた土地の所有権を譲渡する旨の合意も-但し、後述のとおり、本件においては、そもそもこのような合意は存在しなかったものと認められるが、仮にあったとしても-共に無効を来すものと言わざるを得ないのであって、後者の合意のみを独立して有効と解すべき余地のないことは極めて明らかであると言うべきである。

(三) 所有権譲渡の含意を否定すべき事情の存在

(1) 本件境界合意書等作成に至る経緯

以上見たように、本件境界合意は、手続的にも内容的にも無効であると言わざるを得ないが、しからば、何故にかくも問題の多い本件境界合意書等〔甲三号証〕が作成されるに至ったのであろうか。《証拠略》、殊に、当時の伊野土木事務所の工務課長であって、本件境界合意書等にも立会人として記載されている高橋章の証言に重点を置いて前掲各証拠を総合検討すると、その作成に至る経緯について以下の事実を認めることができる(なお、証人甲野松夫は、以下の認定とは異なる証言をしているが、前述したような理由から到底信用することができない。)。

{1} 高知県は、昭和五七年後半から、前記荷揚場を南に延長するため、共進建設株式会社に請け負わせて海面下の土地を床堀する工事に着手し、現在の荷揚場の南側部分を床堀する工事を行っていたところ、昭和五八年一月に(2)(3)土地を買い受けたばかりの原告やその父松夫が、突如、自分たちの土地を県が勝手に掘って何事かなどと伊野土木事務所の関係者に抗議するに至った。

{2} そこで、伊野土木事務所の漁港班長松本義紀らが現地へ赴き、松夫ら立会いの上で、その主張を聞いたところ、松夫らは、鑑定図99点と121点とを結んだ線の西側の海中に自分たちの管理していた石があるなどと強弁して、原告土地の範囲は、合意境界線よりも更に西側(海側)に大きく(真ん中付近で最大五メートル位)膨らんだ範囲内の土地であると強硬に主張した。そのため、伊野土木事務所の職員が低姿勢ながらも松夫の主張は不合理であると反論するなどして長時間の交渉となったが、その際、松夫や原告らは、マイクロフォンを設定したビデオでいちいち伊野土木事務所の職員らを撮影するなどしたほか、松夫は、非常に太い声で、低姿勢の職員らに威迫的に迫り、また、あえて話を前後混乱させるなどして職員たちに食ってかかったりもしたため、伊野土木事務所の職員らは終始威迫されたような雰囲気で、松夫らに対し十分な反論のできない有り様であった。

{3} その後、伊野土木事務所の職員らは、地元漁協の組合長などに松夫らとの中に入ってもらったりもしたが、松夫らは全くその主張を曲げなかったことから、その後、伊野土木事務所の工務課長をしていた前記高橋も部下の要請に基づいて現地に赴き、松夫とともに船に乗って、松夫が境界石と主張する石を海中に見聞したり、同所に竹の杭やポールを立てるなどして、松夫と再度交渉を行った。しかし、相も変わらず、松夫らは、同じ要求を執拗に繰り返したため、高橋らも、業をにやして、原告に対し、南側の防潮堤は原告が(2)(3)土地を買う以前からあるが、その時点で他人の土地に防潮堤を作ったなどという紛争が生じたようなことはない、したがって防潮堤が原告土地の中に入っているとは言えない、せめて防潮堤が原告土地の境界内に入らないような形で話に応ぜよなどと強く反論するに至った。加えて、地元漁協の組合長においても、右高橋らに対し、合意境界線程度で話を収めよ、原告から埋立て申請が出ても漁協も被告も同意しないから永久にこのままであり、漁民も皆真の境界を知っているから、形の上で合意境界線から東側が原告土地であると認めても、実質的には原告の所有にはならず実害はないなどのアドバイスもされるに至った。

{4} その際、高橋らは、仮に合意境界線の位置に境界線を設定すると、結果的に原告土地の間に市道が挟まれることになるので、市道管理者の被告に迷惑がかかるのではないかということについても一応検討の対象にはしたが、ろくに事実関係も調査しないまま、被告は原告が(2)(3)土地を買う以前から市道として供用を開始している、したがって被告は原告の前の地主と話を付けて敷地を買っているはずである、だから原告は文句があれば前の地主に言えばよいなどという安直な結論に達した。

{5} このようないきさつから、原告らや伊野土木事務所の職員らも双方妥協して、合意境界線程度で話を収めることとし、結局、海の上に境界線を設定すること自体の有効性や本件市道敷の所有権の行方などについてはほとんど検討もされないまま、いわばその場凌ぎ的に、高橋証人の言葉によれば「甲野氏を黙らす線」として合意境界線を設定するに至った。

{6} その後、伊野土木事務所内では、境界協定の理由を何にするかなど三か月間位も非常にもめた末、現に海没地であったような事実もないのに「南海地震による地盤沈下に起因し、民地が海没した為、官民境界が不明確であるため」などとまことしやかな理由を付け、最終的には、伊野土木事務所の管理担当班長らによって甲三号証が作成されるに至った。

{7} なお、その後、原告は、更に主張をエスカレートさせ、荷揚場の一部にも原告土地が含まれていると主張し、伊野土木事務所もこの圧力に屈した結果、昭和五八年八月一日には、荷揚場のある(4)土地につき、錯誤を原因として地積を減少させる地積更正の登記手続が行われるに至った。

(2) 本件境界合意書等の実態

以上の認定事実によれば、本件境界合意書等は、さしたる根拠もないまま海の一部が原告土地の一部を構成しているなど強弁して執拗かつ威迫的に伊野土木事務所の職員らに迫った原告やその父松夫らの勢いに屈した形で、伊野土木事務所の職員らがいわばその場凌ぎ的にその作成に応じたものにすぎないのであって、合意境界線自体何らの根拠もないことはもとより、双方当事者とも、仮に本件市道敷がもともと原告土地の一部でなかったとしてもこの本件境界合意により原告の所有に帰せしめようなどという意思を真に抱いていたとは到底考えられないところである。

したがって、前述のような本件境界合意書等の手続上・内容上の問題点を云々するまでもなく、本件においては、そもそも本件境界合意には所有権譲渡の含意を否定すべき特別の事情が存在するから、これにより本件市道敷が原告の所有に帰したものと解する余地は全くないと言うべきである。

3  小括

よって、争点2に関する原告の主張も失当である。

三  結論

以上によれば、原告の本訴請求はいずれも理由がないから、主文のとおり判決する。

(裁判官 杉田宗久)

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